バングラデシュの独立を支援したインド|反インド運動とパキスタンとの溝

バングラデシュと聞くと、貧しい国というイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。

一時期のバングラデシュは貧困率が高く、先進国やインドからの支援なしでは運営できないような状態でした。

しかし、現在ではインドをはじめとする各国と協力し合いながら経済成長を続けています。今回は、そんなバングラデシュとインドとの関係について解説します。

バングラデシュがパキスタンから独立するまでの関係

最初に、バングラデシュがパキスタンから独立するまでの歴史について解説します。

  • イギリス領インドからパキスタンへ
  • 東パキスタン時代のバングラデシュ

バングラデシュが独立するまでは、決して平坦な道のりではありませんでした。

イギリス領インド帝国からパキスタンへ

バングラデシュは1947年8月15日のインド・パキスタン分離独立以前、イギリス領インド帝国の一部でした。

当時、イギリス領インド帝国には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が混在していて、宗教観の違いから度々衝突が起きていました。

イギリスはインドを統治しやすいように、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の居住区を分けることを考えます。

同じ民族ながら、宗教によってできた物理的な距離と価値観の違いは、独立する際も埋めることはできませんでした。

イギリスからの独立の際、イスラム教徒が多数を占める地域はパキスタンとしてインドと分離独立することになり、現在のバングラデシュもパキスタンの一部になりました。

イギリスからの独立については、以下の記事で詳しく解説しています。

参照:インドがイギリスから独立するまでの歴史|ラーマやガンディーの活動も解説

東パキスタン時代のバングラデシュ

現在のバングラデシュは東パキスタンと呼ばれ、西パキスタン(現在のパキスタン)とともに1つの国を構成します。

しかし、東パキスタンと西パキスタンの間には地理的な距離だけでなく、言語や文化の違いもありました。

西パキスタンではウルドゥー語を使うのに対し、東パキスタンではベンガル語が主に使われていました。

また、東パキスタンは経済的に西パキスタンに依存させられ、政治的にも弱い立場に置かれます。

こうした状況に対する東パキスタンの人々の不満は次第に高まり、1970年の総選挙で東パキスタンを基盤とするアワミ連盟が圧勝しました。

しかし、西パキスタンの軍部および第2党となった人民党総裁とアワミ連盟の話し合いがつかず、この騒動が独立運動の引き金となります。

パキスタンとバングラデシュの独立戦争

1971年3月、東パキスタン(バングラデシュ)で大きな内戦が勃発しました。

西パキスタン軍は東パキスタンでの弾圧を強めましたが、同年10月にインドが東パキスタンを支援し、西パキスタン軍との戦闘に介入します。

同年12月に西パキスタン軍が降伏し、翌年1月にバングラデシュ政府が樹立されました。現在は、3月26日がバングラデシュの独立記念日として祝日になっています。

独立後、バングラデシュは独立戦争時の恩もあり、インドとの関係を深めていきました。一方でパキスタンとの関係は悪化し、現在に至るまで修復できていません。

バングラデシュの独立は、南アジアの地政学的な枠組みを大きく変化させた出来事であり、現在のバングラデシュ、インド、パキスタンの関係を理解する上で重要な歴史的背景となっています。

インドとパキスタン、バングラデシュの関係については、以下の記事で解説しています。

参照:インドとパキスタンの仲が悪い理由|両国が分裂した歴史と現在を解説

インドとバングラデシュの関係性

バングラデシュの独立後、インドは経済援助や技術協力を通じて国の発展を支援してきました。バングラデシュの輸入相手国としては、中国に次いでインドは第2位です。

また、インドからバングラデシュへの投資も増加しており、エネルギー分野での協力も進められています。

しかし、両国の関係には課題もあります。ガンジス川などの国際河川の水資源をめぐって、両国の利害が対立することがあるためです。

それでも、インドとバングラデシュは互いに重要なパートナーであると認識しており、対話と協力を通じて課題の解決に取り組んでいます。

地域の安定と繁栄のためにも、両国の友好関係は不可欠だと考えられています。

インドとバングラデシュの陸路国境

インドとバングラデシュは、全長約4,096kmに及ぶ国境を共有しています。これは、インドの国境の中で最も長く、世界でも有数の長さです。

しかし、接する面積が増えれば増えるほど、抱える問題が大きくなるのも事実です。

交流が制限された国境付近の集落

インドとバングラデシュの国境線は複雑に入り組んだ形状をしているため、場所によっては国境線が入り乱れて飛び地のようになっている地域もあります。

この国境沿いには多くの村落が点在し、同じ民族や言語グループに属する人々が国境を挟んで暮らしています。

彼らの間では、日常的な往来や交易が行われてきました。しかし、国境管理が厳格化される中で、こうした交流が制限されるようになってきています。

インドとバングラデシュの国境管理の強化

国境地域では不法移民や密輸、麻薬取引など、様々な問題が発生しています。

貧困や政情不安を背景に、バングラデシュから大勢の人々がインドへ不法入国を試みるケースも後を絶ちません。国境を越えた犯罪組織の活動も活発化しています。

これらの問題に対処するため、インドとバングラデシュは国境管理の強化に努めています。

国境沿いにフェンスを設置したり警備を強化したりするなどの措置だけではなく、国境地域の開発と住民の生活改善に向けた取り組みも両国にとって重要です。

インドとバングラデシュは国境問題について定期的に協議を行い、協力関係を築いています。

ただし、国境問題は複雑で解決が容易ではないため、長期的な視点に立った取り組みが求められています。

アジア最後の新興国バングラデシュ

バングラデシュは、近年、新たな経済成長の拠点として注目を集めています。外務省によると、2022年時点の人口は1億7,119万人で、労働人口は7,305万人でした。

豊富な労働力と潜在的な経済成長力を秘めていることから、バングラデシュは「アジア最後の新興国」とも呼ばれています。

バングラデシュの経済成長

かつては世界最貧国といわれていたバングラデシュですが、1990年代以降は着実な経済成長を遂げています。

世界銀行の調査によると、2020/2021年度の貧困率は12.5%、2021/2022年度は11.9%まで低下していました。貧困率が下がると同時に経済は着実に上向いています。

IMF(国際通貨基金)によると、バングラデシュの2022/2023年度の実質GDP成長率は前年度比6.0%、インフレ率の年間平均は9.0%と発表しました。

この高いインフレ率は、2024年のアジアの新興・途上国の年間の平均値予測2.4%の4倍近い数値です。それだけバングラデシュの経済が急成長していることがわかります。

バングラデシュの主要産業

外務省が発表しているバングラデシュのデータを紹介します。

2023年度のバングラデシュで多かった輸出品は以下のとおりでした。

  1. 縫製品(ニット含む):86.5%
  2. 皮革・皮革製品:3.0%
  3. 繊維類:2.1%

輸入品については、以下のとおりです。

  1. 鉱物石油製品:18.7%
  2. 綿花:12.7%
  3. 原子炉・機械:7.0%

バングラデシュは燃料や繊維の原料を輸入し、縫製品を生産していることがわかります。

衣料品の世界輸出シェアでは、中国に次いで世界第2位にまで成長しました。

現在ではユニクロなど、数多くのファッションブランドがバングラデシュで生産を行っています。

近年ではIT産業やサービス産業の成長も目覚ましく、経済の多角化が進んでいます。IT大国としてはインドが注目を集めていますが、バングラデシュはインドに次いでIT大国になる可能性を秘めています。

バングラデシュの課題

バングラデシュ経済には、課題も多く残されています。電力や輸送などのインフラ不足、自然災害のリスク、政治的不安定性などが経済成長の制約要因となる可能性があります。

また、社会開発の面でも、貧困削減や教育・医療の充実などが課題です。それでも、バングラデシュの経済成長力と発展可能性は高く評価されています。

日本企業もバングラデシュを有望なビジネス拠点と位置づけ始めているため、投資や事業展開を加速させつつあります。

バングラデシュで起こる反インド運動

インドと友好関係を築いてきたバングラデシュでは、一部の人々や団体の反インド運動が活発化することがあります。この反インド運動には、様々な要因が複雑に絡み合っています。

反インド運動の要因

バングラデシュで反インド運動が起こる背景には、国境管理の問題があります。

バングラデシュからインドへの不法移民が多数存在することに対し、インド側が国境警備を強化したことで、両国の緊張関係が高まっているためです。

1986年からインドはバングラデシュとの国境に全長2500マイルの壁を建設し、密輸、不法移民、テロ攻撃を食い止めようとしました。

次に、水資源をめぐる対立があります。インドとバングラデシュは、ガンジス川などの国際河川を共有していますが、その水資源の分配をめぐって対立が生じています。

特に、乾季のインド側の水利用が、バングラデシュの農業や生活に影響を与えることが深刻な問題です。

また、インドの政治的・経済的な影響力の強さに対する反発もあります。バングラデシュ国内では、インドが自国の利益を優先し、バングラデシュの主権を脅かしているとの見方が一部にあります。

さらに、イスラム過激派による反インドのプロパガンダも、反インド感情を煽る要因です。イスラム過激派はインドをイスラム教の敵と位置づけ、反インドの姿勢を鮮明にしています。

それでも消えないインドとバングラデシュの絆

バングラデシュ国民の多くは、インドとの友好関係の重要性を認識しています。両国は地理的に近く経済的にも深いつながりがあるため、協力関係を維持することが必要だと考えられているのです。

反インド運動は両国関係の一側面ではありますが、両国の努力により克服できる課題だといえるでしょう。

日本としても、インドとバングラデシュの支援を通じて友好関係の促進を支援していくことが重要だと考えられます。

バングラデシュについてよくある質問

バングラデシュに馴染みの少ない日本人にとっては、まだまだ分からないことが沢山あります。今回は、バングラデシュについてよくある質問をまとめました。

バングラデシュはなぜ親日国なのですか?

バングラデシュが親日国である主な理由は、日本からの長年にわたる経済支援と技術協力にあります。日本は、バングラデシュが1971年に独立して以来、同国の発展を支援してきました。

日本の支援は、インフラ整備、農業、教育、保健医療など、幅広い分野に及んでいます。例えば、日本は道路や橋梁、発電所などのインフラ建設に多額の資金を提供してきました。

これらのインフラ整備は、バングラデシュの経済成長の基盤となっています。

また、バングラデシュの国旗は、日本のデザインと同じ中央に円があるものです。

バングラデシュの独立当時、日本が農業国から工業国に発展を遂げたことに魅せられた大統領が、自国もそうなりたいと日の丸のデザインを取り入れたといわれています。

バングラデシュ国民の間では、現在でも日本に対する感謝と好感度が非常に高く、親日国といわれています。

バングラデシュはどこの植民地でしたか?

バングラデシュは、18世紀後半からイギリスの植民地支配下に置かれました。当時のバングラデシュはイギリス領インド帝国のベンガル管区と呼ばれる地域の一部でした。

イギリスは、この地域の豊かな農業資源や安価な労働力を利用して、自国の産業発展を図ります。

特に、綿花や茶などの換金作物の栽培が奨励され、これらの農作物は大量にイギリスへ輸出されました。

イギリスの植民地支配は、インドとパキスタンが分離独立する1947年まで続きます。

まとめ:インドとバングラデシュの関係性にはパキスタンが関係している

バングラデシュは、1947年のインド・パキスタン分離独立以前はイギリス領インド帝国の一部であり、独立後はパキスタンの一部でした。

しかし、1971年の独立戦争を経て、バングラデシュとして独立を果たします。

独立後、バングラデシュはインドと友好関係を築き、経済援助や技術協力を受けてきました。現在でも、インドはバングラデシュにとって貿易や投資の重要なパートナーです。

バングラデシュは近年著しい経済成長を遂げ、「アジア最後の新興国」と呼ばれるようになっています。

IT大国として先に注目を集めたのはインドですが、バングラデシュも第2のインドとなるべくITサービスの拡充を目指しています。

この先、インドとバングラデシュを中心に新しいITサービスが誕生する日も、そう遠くないかもしれません。