社会に詳しくない人にとっては、インドとスリランカの関係や違いを聞かれてもすぐには回答できないでしょう。スリランカは、インドの南に位置する島国で、古くからインドとかかわりの深い国の1つです。
今回は、インドとスリランカの歴史的関係、各分野での関係性について解説します。
インドとスリランカの歴史的背景と関係の変化
スリランカの正式名称は、スリランカ民主社会主義共和国といいます。面積は6万5,610平方キロメートル(北海道の約0.8倍)で、人口は約2,218万人です。
首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテですが、最大都市は商業の中心地であるコロンボです。まずはインドとスリランカの歴史的背景と関係の変化について解説します。
インドとスリランカの古代史
紀元前483年、現在のスリランカで最古となるシンハラ王朝が建国されました。
その後、紀元前205年には、インドのチョーラ朝がスリランカに侵攻します。以降、チョーラ朝とスリランカとの間で覇権争いが繰り広げられました。
その後、紀元前1世紀になるとローマ帝国と中国が貿易を行う際の中継地としてスリランカは栄えました。
当時の南インドのサータヴァーハナ朝も同じく栄え、両国は歴史の面でも重要な港市国家となります。
紀元前250年、インドのアショーカ王の息子マヒンダ王子によって仏教がスリランカに伝えられました。これを機に、両国間の宗教的・文化的交流が活発化しました。
インドの歴史については以下の記事で解説しています。
参照:インドの歴史について解説!歴史を経て現在の経済政策は進出に関係ある?
インドとスリランカの中世史
1017年になると、インドのチョーラ朝がスリランカを再度侵攻し、北部を支配下に置きました。1055年にウィジャヤバーフ1世がチョーラ朝を倒すまで、スリランカではチョーラ朝の支配が続きます。
その後、1517年にポルトガルが軍艦で攻めてくるまで内乱が度々起きました。オランダもポルトガルに続いてスリランカに漂着し、スリランカの支配を巡って両国は戦争を始めます。
1673年にはフランス、1780年代にはイギリスもスリランカに侵攻し、実質的な植民地状態が続きます。
インドとスリランカの近世史
1800年代に入るとスリランカはイギリスの直轄植民地となり、インドと同じくイギリス領セイロンとして統治されるようになりました。イギリスは軍用道路を建設したりコーヒー栽培を始めたりと、インドと同様にスリランカの資源を自国の利益に使うのが目的です。
1880年代後半になると、森鴎外をはじめとした日本人もスリランカに寄港するようになりました。1900年には夏目漱石もスリランカを訪れ、日本人で初めてカレーを食べたと伝えられています。
第二次世界大戦中は日本軍の空襲もありましたが、戦後1948年2月4日、スリランカはイギリスからの独立を果たしています。インドは翌1949年にイギリスから独立しました。
インドの独立については、以下の記事で詳しく解説しています。
参照:インドがイギリスから独立するまでの歴史|ラーマやガンディーの活動も解説
インドとスリランカの経済関係
インドとスリランカは、経済面でも重要なパートナーです。
- インドとスリランカの自由貿易協定
- インドとスリランカの経済関係と中国の関与
しかし、インドとスリランカの関係にも中国が関与していました。
インドとスリランカの自由貿易協定
スリランカはインド洋の重要な貿易ルート上に位置する島国で、古くからインドと経済的なつながりを持っています。特に1990年代以降、両国の経済関係は大きく進展しました。
2000年に施行された「インドスリランカ自由貿易協定(ISFTA)」は、両国の貿易自由化に大きく寄与しました。ISFTAにより、ネガティブリストに記載されている物品以外の品目は関税が撤廃され、貿易手続きが簡素化されたためです。
その結果、ISFTAの輸出額は年々増加し、2021年には5億2,585万米ドルに達しました。
引用:在スリランカ日本国大使館「スリランカのFTA締結状況について」
ISFTAによる貿易自由化は、スリランカの消費者に安価で多様な商品を提供する一方、一部の国内産業には大きな競争圧力をもたらしました。
特に、スリランカの農業部門や中小企業は、インドからの安価な輸入品の流入に苦戦を強いられています。
経済・技術協力協定については、スリランカ国内の経済への影響を懸念し交渉が停滞しています。
インドとスリランカの経済関係と中国の関与
近年、中国の存在感がスリランカ経済に大きな影響を与えるようになっています。中国は「一帯一路」構想の下、スリランカの港湾や空港開発などのインフラ整備に積極的に関与しています。
具体的には、2017年には中国国有企業の招商局港口がスリランカ南部のハンバントタ港の運営権を99年間獲得しました。こうした中国のスリランカへの関与拡大は、インドにとって大きな脅威となっています。
インドは伝統的にスリランカを自国の勢力圏と見なしているため、スリランカ国内での中国の影響力拡大を警戒しています。
また、ハンバントタ港はインド洋の戦略的要衝に位置しており、中国がこの港を軍事目的で利用するのではないかとの疑惑も拭えません。
参照:インドと中国の関係は?どちらに進出するのがおすすめか徹底解説!
インドとスリランカの安全保障関係
インドとスリランカの連携は、インド洋の平和維持に重要な役割を担っています。
- インドとスリランカの軍事演習(SLINEX)と安全保障
- インドとスリランカの戦略的基盤
具体的にどのようなつながりがあるのか解説します。
インドとスリランカの軍事演習(SLINEX)と安全保障
インド洋地域の海上安全保障において、インドとスリランカの協力は重要な意味を持っています。そのため、インドとスリランカは以前から軍事協力を積極的に行ってきました。
インドとスリランカの軍事協力の中心は、共同訓練や演習の実施です。両国の海軍は「SLINEX」と呼ばれる共同訓練を行っており、海上での戦術的協力や情報共有などを進めています。
また、両国の陸軍や空軍も定期的に共同訓練を実施しており、災害救援や人道支援などの分野でも連携を強化しています。こうした軍事面での協力は、両国の戦略的利害の一致によるものです。
スリランカはインド洋の中心に位置し、東アジアと中東・アフリカを結ぶシーレーンの要衝となっています。そのため、スリランカの海上安全保障は、インドにとっても重要な関心事項なのです。
インド洋では、ソマリア沖を中心に海賊行為が横行しており、海上交通の安全を脅かしています。インドとスリランカは、海賊対策のための情報共有や合同パトロールを実施するなど、連携を強化しています。
インドとスリランカの戦略的基盤
インドは、スリランカの海上警備能力の向上を支援しています。スリランカ海軍への巡視艇の供与やスリランカ海軍兵士のトレーニングなどを行っており、スリランカの海上安全保障能力の強化に貢献しています。
一方で、インドとスリランカの安全保障関係は、複雑な地政学的要因の影響も受けています。特に、中国のスリランカへの関与拡大は、インドの安全保障上の懸念事項です。
中国は近年、スリランカの港湾開発に積極的に関与しており、インドは中国がこの港を軍事目的で利用するのではないかと警戒しています。
こうした状況の中で、インドはスリランカとの安全保障関係の強化を通じて、自国の戦略的利益の確保を図っています。
しかし、インドとスリランカの安全保障関係は、常に安定しているわけではありません。スリランカ内戦では、インドのタミル人支援が両国関係を悪化させる要因ともなりました。
また、スリランカ政府は、インドと中国の間でバランスを取る外交を展開しており、常にインド寄りの立場を取っているわけではありません。
こうした複雑な要因を踏まえつつ、インドとスリランカが安全保障面での協力を深化させていくことは、両国の戦略的利益によるものです。
今後も、両国が軍事交流を活発化させつつ、地域の安全保障環境の改善に向けて協力を進めていくことが期待されます。
インドとスリランカの文化的つながり
インドとスリランカでは、共にカレーが伝統的な料理になっています。こうした背景から、文化的なつながりが深いことでも有名です。
- インドとスリランカの伝統と宗教
- インドとスリランカ間のビザ制度
上記をテーマに、インドとスリランカの文化的つながりを紐解いていきます。
インドとスリランカの伝統と宗教
インドとスリランカの間には、古くから深い文化的つながりがあります。その最たるものが、両国に共通する仏教の伝統です。
仏教は、紀元前255年〜260年頃に当時のインド皇帝アショーカ王の息子マヒンダによってスリランカに伝えられたとされています。
以来、スリランカでは上座部仏教(テーラワーダ仏教)が広く信仰され、人々の生活や文化に大きな影響を与えてきました。
現在でも、スリランカの至る所に仏教寺院が点在し、多くの人々が仏教行事に参加しています。例えば、毎年5月から6月にかけては、ブッダの生誕・悟り・入滅を祝うスリランカの3大祭りの1つ「ベサク祭」が盛大に行われます。
一方、インドにも多くの仏教聖地があり、ブッダガヤをはじめとする聖地には、以前からスリランカの巡礼者が数多く訪れていました。
また、スリランカ各地の仏教寺院では、インドから招聘された僧侶による説法会なども行われており、両国の仏教徒の交流は非常に活発です。
仏教以外にも、ヒンドゥー教や、イスラム教、キリスト教など、多様な宗教が両国に共通して存在しています。特に、スリランカ北部を中心に分布するタミル人の間では、インドと同様にヒンドゥー教が広く信仰されています。
毎年7月から8月にかけて行われるヒンドゥー教の祭礼「ナーラッピル・カンダスワーミ寺院祭」には、インドからも多くの巡礼者が訪れるなど、ヒンドゥー教徒同士の交流も盛んです。
インドの宗教については、以下の記事で詳しく解説しています。
参照:インドの宗教と進出の関係について解説!気をつけるポイントについても紹介
インドとスリランカ間のビザ制度
2023年にはインドからスリランカへの観光客数が30万2,844人に達し、ロシアやイギリスを抜いて最多国になりました。一方、インドを訪れるスリランカ人観光客も増加傾向にあり、両国間の人的交流はますます活発化しています。
近年、両国政府はビザ制度の簡素化を通じて、こうした人的交流のさらなる促進を図っています。2014年からは、スリランカ人に対するインドの電子ビザ(e-Visa)の発給が開始され、ビザ取得の利便性が大幅に向上しました。
このように、インドとスリランカの間には、仏教をはじめとする宗教的なつながりを基盤とした深い文化的つながりがあります。近年では、観光などを通じた人的交流も拡大しており、両国の相互理解の促進につながっています。
日本からの渡航を含めて、インドのビザ発行については以下の記事で詳しく解説しています。
参照:インド渡航時のビザの申請方法|ビザの種類や滞在延長する際の対応も解説
スリランカについてよくある質問
インドについての情報は増えてきましたが、スリランカについての情報はまだ少ないのが現状です。そこで、スリランカについてよくある質問をまとめました。
スリランカの友好国はどこですか?
スリランカは、地理的に近接するインドと深い関係を築いてきました。歴史的や文化的な絆に加え、現在では貿易や投資、安全保障など様々な分野でインドとの協力関係を維持しています。
また、中国との関係も近年急速に深まっており、中国からの投資や援助も増加しています。その他、日本や欧米諸国とも友好関係にあり、幅広い国際関係をバランスよく構築しているのがスリランカの特徴です。
スリランカは社会主義国ですか?
スリランカの正式名称はスリランカ民主社会主義共和国ですが、制度的には社会主義国ではありません。しかし、独立後は社会主義政党のスリランカ自由党が長期政権を担うなど、社会主義的な政策が一定の影響力を持ってきました。
かつては土地改革や国有化が進められるなど、社会主義色の強い政策が実施されました。1977年に誕生したジャヤワルデネ政権が資本主義経済への移行を進め、現在も資本主義経済体制を採用しています。
セイロンはなぜスリランカに変わったのですか?
スリランカは1972年に制定された新憲法により、それまでの国名「セイロン」を「スリランカ」に変更しました。「スリランカ」はサンスクリット語で「光り輝く島」を意味する言葉であり、古くから島の呼称として用いられてきました。
一方、「セイロン」はポルトガル語に由来する外来語であり、植民地時代の名残とも受け止められています。スリランカの国名変更は、植民地の歴史を乗り越え自国の文化的アイデンティティを強調する象徴的な意味合いがありました。
まとめ:インドとスリランカは歴史的にも深い関係にある
インドとスリランカは、紀元前から親交があった国同士です。かつてはインドがスリランカを侵略する時期もありましたが、第2次世界大戦が終わり、植民地から独立した両国は友好関係を維持しています。
現在のインド洋では中国の海洋進出が活発化していることから、インドとスリランカは共同軍事演習などを行って対抗しようとしています。インドとスリランカの友好関係は、近隣諸国の安全のためにも重要です。