インドに隣接する国の中に、パキスタンという国があります。インドとパキスタンはかねてから仲が悪く、過去には戦争も行ってきました。
元々インドとパキスタンは同じ国でしたが、現在でも緊張状態が続いています。この記事では、なぜインドとパキスタンは仲が悪いのか、分裂した両国の過去や現在はどうなっているのかについて解説していきます。
インドとパキスタンの基本情報
まずは、インドとパキスタンそれぞれの国の基本情報を紹介していきます。インドとパキスタンは元々同じ国でしたが、国としての在り方は根本的に違っているのが分かるでしょう。
インドの基本情報
インドは南アジアに位置する共和制国家であり、首都はニューデリーです。
外務省が発表している2022年時点での人口は14億1,717万人で、当時の世界第2位の人口大国です。国連経済社会局の推計によると、インドの人口は2023年4月に中国を抜いて世界第1位になったと言われています。
また、外務省の資料では、インドの国土面積は3,287,263平方キロメートルで世界第7位の広さを誇ります。公用語はヒンディー語と英語ですが、州によって独自の公用語が使用されている珍しい国です。
宗教的にはヒンドゥー教徒が多数を占めますが、イスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒なども存在します。
インドは世界有数の経済大国となり、近年でも著しい経済成長を遂げている数少ない国です。IT産業や製造業が盛んで、海外からの投資も活発に行われているため世界中から注目を浴びています。
また、古くからの歴史や文化、世界遺産などの観光資源にも恵まれているので、多くの観光客が訪れる観光大国でもあります。
参照:外務省「インド共和国(Republic of India)基礎データ」
参照:外務省「面積の大きい国」
パキスタンの基本情報
パキスタンはインドの西に位置するイスラム共和制国家であり、首都はイスラマバードです。人口は2億4,149万人で、世界第5位の人口大国です。
国土面積は79.6万平方キロメートルで、日本の約2倍の広さがあります。公用語はウルドゥー語と英語ですが、他にもパンジャブ語などの言語が使用されています。
国民の大多数がイスラム教徒のため、国教もイスラム教です。パキスタンは農業国であり、綿花や小麦などの農産物が主要な輸出品となっています。
また、近年では鉱物性生産品の輸出なども盛んです。インドと異なり、政情不安やテロ問題などの課題も抱えているため、国際社会からの支援や協力が欠かせない国です。
参照:外務省「パキスタン・イスラム共和国(Islamic Republic of Pakistan)基礎データ」
インドとパキスタンは元々1つの国だった
インドとパキスタンは、元々は1つの国でした。そのインドとパキスタンが分離独立に至った背景には、根深い宗教対立が関係しています。
インドとパキスタンはインド帝国の一部だった
インドとパキスタンは、かつてはイギリスが統治するインド帝国の一部でした。1600年にイギリス東インド会社がインドに進出し、次第にインド全土を支配下に置くようになっていきます。
1877年には、イギリスのヴィクトリア女王を皇帝としたインド帝国が成立しました。当時のインド帝国は、以下の国を含む広大な帝国です。
- インド
- パキスタン
- バングラデシュ
- ミャンマー
イギリスは、インド帝国の豊かな資源や労働力を利用して多くの利益を得ていました。一方で、インドの人々は苛酷な植民地支配に苦しめられ、次第に独立運動が活発化していきます。
20世紀に入ると、マハトマ・ガンディーらの指導の下、非暴力による独立運動が展開されるようになりました。
参照:インドがイギリスから独立するまでの歴史|ラーマやガンディーの活動も解説
インドとパキスタンが分離独立した理由
インドとパキスタンが分離独立した背景には、ヒンドゥー教とイスラム教の対立問題がありました。当時のインドには、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が混在していましたが、両者の間には深い対立があり、度々争いが起きていました。
イギリスは軍事力だけでなく、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分割することで争いを防ぎ、統治しやすい環境を構築します。
イギリスからの独立が近づくにつれヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は激化し、独立後のインドをどのように統治するかをめぐって意見が分かれます。ガンディーを筆頭にしたヒンドゥー教徒は統一インドを主張しますが、イスラム教徒は独自の国家の建設を求めました。
1940年にイスラム教徒は「パキスタン決議」を採択して分離独立を宣言してしまいます。
この両者の溝は消えず、1947年8月にヒンドゥー教徒が多数を占めるインドと、イスラム教徒が多数を占めるパキスタンが分離独立しました。しかし、この分離独立の過程では大規模な民族移動や暴動が発生し、多くの犠牲者が出ています。
現在までのインドとパキスタンの対立
それぞれ別の国家として歩み出したインドとパキスタンですが、対立関係は依然として続きます。そして、その流れは止められず、インドとパキスタンはやがて戦争へと突き進んでいきます。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の深い対立
インドとパキスタンの対立の根底には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教的な対立があります。インドではヒンドゥー教徒が多数を占める一方で、パキスタンではイスラム教徒が圧倒的多数を占めています。
ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は、信仰や価値観、生活習慣などの面で大きく異なっており、互いに相容れないという問題がありました。特に、ヒンドゥー教徒はウシを神聖な動物と考えて食べませんが、イスラム教徒は食べられます。
また、ヒンドゥー教徒は多神教であるのに対し、イスラム教徒は一神教です。このような宗教的な価値観の違いが、両国の対立の根底にあります。
独立以前からヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立はありましたが、独立後は両国の国是となったため、対立がさらに深まってしまいます。
参照:インドの宗教と進出の関係について解説!気をつけるポイントについても紹介
カシミール帰属問題からインドパキスタン戦争へ
インドとパキスタンの対立の焦点となっているのが、カシミール地方の帰属問題です。カシミール地方は、インドとパキスタンの国境地帯に位置する地域で、両国が領有権を主張しています。
1947年のインド独立時にはカシミールの君主がインドへの帰属を決めましたが、住民の多数はイスラム教徒でした。このため、カシミール内で争いが勃発し、独立したばかりのインドとパキスタンはそれぞれ軍隊を派遣しました。
争いは次第に激化し、同年10月に第1次インドパキスタン戦争が始まります。この戦争では、発足間もない国際連合が加入し、1949年1月に休戦が成立しました。
その後も1965年に第2次インドパキスタン戦争、1971年に第3次インドパキスタン戦争が勃発するなど、カシミールをめぐり対立してきました。現在でも、カシミールでは時折武力衝突が起きており、国際社会の懸念となっています。
中印国境紛争とパキスタンの思惑
インドとパキスタンの対立に影響を与えているのが、中国の存在です。中国はパキスタンと長らく友好関係にあり、パキスタンに対して軍事面や経済面で支援を行ってきました。
一方で、中国とインドの間にはヒマラヤ地方での国境紛争があり、1962年には中印戦争が勃発しました。中国はインドを牽制する目的で、パキスタンとの関係を強化していると見られています。
特に、中国が進めているアジアとヨーロッパを結ぶ巨大経済圏「一帯一路」構想の一環として、陸路の途中にあるパキスタンで大規模なインフラ開発を進めています。
中国の一帯一路に対しインドは警戒感を強めており、中国とパキスタンの関係を脅威と捉えているのが現状です。中国とインドの関係悪化は、インドを牽制したいパキスタンにとって絶好の機会となっています。
参照:インドと中国の関係は?どちらに進出するのがおすすめか徹底解説!
パキスタンから独立した国
インドと分離独立したパキスタンですが、そのパキスタンからさらに独立を果たした国があります。それがバングラデシュです。
- バングラデシュがパキスタンから独立した理由
- インドとバングラデシュの関係
インド、パキスタン、バングラデシュの関係性について解説していきます。
バングラデシュがパキスタンから独立した理由
バングラデシュは、バングラデシュ人民共和国が正式名称です。もともとパキスタンの一部でしたが、1971年12月16日に独立戦争を経てパキスタンから独立を果たしました。
独立の背景には、東パキスタン(現在のバングラデシュ)と西パキスタン(現在のパキスタン)の間の地理的・文化的な隔たりや西パキスタンによる東パキスタンの支配に対する不満がありました。
東パキスタンではベンガル語を話すベンガル人が多数を占めていますが、公用語はウルドゥー語に統一されてしまったのが主な理由です。1950年に言語運動と呼ばれる激しい反対運動を起こし、ベンガル語も公用語として認められましたが、使用は東ベンガルに限られていました。
また、西パキスタンが東パキスタンを実質的に植民地のように扱ってきたことも要因です。
東パキスタンの特産品を売って得た利益を西パキスタンの発展に使い続けた結果、東パキスタンは自治を求める運動を加熱させていきます。
パキスタン政府は鎮圧を図りますが、インドの支援を得た東パキスタンが勝利し、そのままバングラデシュとして独立を果たします。
インドとバングラデシュの関係
インドは東パキスタンの独立運動を支援し、東パキスタン難民の受け入れを行ってきました。その関係性もあり、バングラデシュ独立後もインドとバングラデシュは良好な関係を築いています。
インドはバングラデシュに対して経済支援やインフラ整備などの協力を行っており、両国は安全保障の面でも協力関係にあります。一方で、国境を越えた不法移民の問題や、共有する河川の水利用をめぐる問題などを抱えているのが現状です。
インドとパキスタンの現在の情勢
争いの絶えないインドとパキスタンですが、その対立はやがて核開発へと進んでいきます。
- インドの核保有に対抗して核開発を行うパキスタン
- テロ事件や衝突が絶えないインドとパキスタン
現在でもテロなどが起きる度に緊張が走る両国ですが、核開発を始めたことで先進国からの見方も大きく変わっていきます。
インドの核保有に対抗して核開発を行うパキスタン
インドとパキスタンの対立を大きく変化させたのが、両国の核開発です。インドは1974年に初の核実験を行い、事実上の核保有国となりました。
これに対抗して、パキスタンも核開発を進め、1998年には核実験を行いました。両国は、相手国を牽制するために核兵器を保有しているという状況です。
国際社会は、インドとパキスタンの核兵器が紛争のリスクを高めているとして、核軍縮を求めています。しかし、自国の利益のために両国とも核抑止力を手放すことには消極的です。
特にパキスタンは、通常兵力で勝るインドに対抗するためには核兵器が不可欠だと考えています。パキスタンは中国から核技術の提供を受けており、中国を背景により強硬な姿勢を取っています。
インドとパキスタンの核開発は、南アジアの安全保障環境を不安定化させる要因となっています。
テロ事件や衝突が絶えないインドとパキスタン
インドとパキスタンの間では、現在も小規模な衝突やテロ事件が絶えません。特にカシミール地方では、パキスタンが支援するイスラム過激派のテロ組織が活動しており、インド治安当局との間で衝突が頻発しています。
2001年12月には、インドの国会議事堂がテロ攻撃を受ける事件が発生しました。インドはパキスタンの関与を非難して、両国は戦争寸前にまで一気に緊張が高まります。
また、2006年7月にはインドのムンバイ列車で同時爆弾テロ事件が発生し180人以上が死亡、2008年11月にはインドの都市ムンバイで同時多発テロ事件が発生し約160名が死亡する大惨事となりました。
インドは、このテロ事件にもパキスタンの情報機関が関与していたと主張しています。
こうしたテロ事件が両国の関係を悪化させ、対話を困難にしています。国際社会は両国に対話を促していますが、うまく対話が進んでいないのが現状です。
まとめ:インドとパキスタンの対立は現在も続いている
インド帝国時代に同じ国だったインドとパキスタンですが、宗教観の違いなどによって分裂し、度々戦争をするほど関係は悪化しています。現在でもテロ事件が度々発生し、その度に両国の関係が悪化しているのが現状です。
国際社会は対話を呼びかけていますが、インドとパキスタンは競うように核を保有するなど関係改善の糸口が見えていません。インドは中国とも国境付近で紛争があるため、外交面では難しい舵取りを余儀なくされています。
インドとパキスタンが宗教や民族間の価値観を乗り越えて、互いに協力できる日がくることを切に願っています。