インドの歴史について解説!歴史を経て現在の経済政策は進出に関係ある?

「インドの歴史についてわからない」
「インドの歴史を経て、今の経済政策はどうなっているかわからない」

このような悩みを持っていませんか。

今のインド経済は成長し続けています。しかし昔のインドは支配者が頻繁に変わったり、植民地になったりと壮絶な歴史を経験しました。

そこで本記事では、インドの歴史について解説します。また歴史を経て、インドの経済政策は進出に関係あるのかどうかも紹介します。

「インドの歴史を知って進出に活かしたい」方にとって必見の記事ですので、ぜひ参考にしてみてください。

【基礎知識】インドの歴史について

インドの歴史については以下のとおりです。

  • 最初の文明から初代王朝の誕生まで
  • 王朝から植民地化まで
  • 植民地から独立まで

それぞれ順番に解説します。

最初の文明から初代王朝の誕生まで

まず最初の文明から初代王朝の誕生までについて紹介します。

紀元前2600年頃からインダス川流域でインダス文明が発展しました。古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」はインダス文明の時に作られたので「前期ヴェーダ時代」と呼ばれています。

だれが作ったのかは不明ですが、街路や用水路、浴場が作られている都市です。

紀元前1500年にインド・アーリア系の諸部族の間で戦争が起こります。バラタ族という民族が先住民であるプール族などに勝利します。

バラタ族はインド亜大陸の北東部を流れるガンジス川流域で、ガンジス文明を展開しました。この時代を「後期ヴェーダ時代」といいます。

その後インドには16の国がありましたが、マガダ国とコーサラ国の2つに絞られ、マガダ国の勝利。結果的にマウリヤ朝マガダ国が建国され、初代王朝が完成しました。

王朝から植民地まで

ここでは、王朝から植民地になるまでについて解説します。

初代王朝が政治的混乱によって滅亡した後に、第3代チャンドラグプタ2世が北インドを統一しますが、長続きしません。その結果デリー・スルターン朝が建国され、北インドは徐々にイスラム化していきます。

17世紀になると、イギリスの勢力が増し、イギリス東インド会社が設立されます。数々の戦争を経て、インドを経済的に支配した結果、インドによる「セポイの反乱」が勃発。インドは負けてしまい、イギリスのヴィクトリア女王が「イギリス領インド帝国」の女帝としてインドを植民地にしました。

植民地から独立まで

最後にインドの植民地時代から独立までの歴史を解説します。

第一次世界大戦が起こり、インドをはじめとする軍事物資や費用を使い果たして、財政が困難な状態でした。これを機にインドのマハトマ・ガンジーは、イギリスに対して「不服従運動」を展開し、インド製品のみを使います。

第二次世界大戦で勝ったイギリスでしたが、植民地としての力がなく、インドの独立を認めました。

インドの歴史を経て、現在の首相がモディ氏

先述のとおり、インドは植民地で悩まされて、独立するための運動をしていました。壮絶な歴史を経て、現在はモディ氏がインド首相です。

モディ首相は、1950年にインド西部のグジャラート州で生まれました。若い頃から、ヒンドゥー至上主義に入り、奉仕活動をしながら政治家を目指します。

2001年には、出身地のグジャラート州の州首相に就任します。電力や道路などのインフラ整備を進め、また国内外の企業の誘致に取り組み、高い経済成長をもたらしました。

モディ首相は経済手腕が高く評価され、インド首相に2回当選しています。

参照:NHK|インド・モディ首相とは

モディ首相の経済政策は主に3つ

ここではモディ首相の経済政策についてご紹介します。結論からお伝えすると、以下の3つです。

  1. 外資規制の緩和
  2. 行政のデジタル化
  3. 物・サービス税の導入

それぞれ順番に解説します。

1. 外資規制の緩和

外資規制の緩和はインドの製造業に大きな成長をもたらします。現在のインドは、サービスで経済発展していきました。

一方で製造業に属する工業部門は、大きく展開していません。そこで、モディ首相は製造業のシェアを15%から25%に引き上げようとしています。

外資規制を緩和すると、海外の企業がインドで生産しやすくなります。さらにインドで作られた家電やテレビなどは消費されやすいです。

モディ首相は外資規制の緩和に伴い、雇用機会の増加やインフラ整備も図っています。

参照:『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書|第3章 モディ政権の経済政策:その展開と評価

2. 行政のデジタル化

モディ首相は行政のデジタル化を推進しています。生体認証の固有識別番号(アーダール)制度は、2010年に登録されています。

モディ首相はアーダールの普及を推進した結果、アーダール制度を使っている人数は、6億人から12億1750万人へと急ピッチで拡大しました。

実際にアーダール制度は、個人の口座に補助金や奨学金などを直接入金しています。

またデジタル決済についてはすでにインドに導入されています。具体的には2008年にインド決済公社が設立され、国産クレジットカードが作られました。

さらに非現金決済用アプリの「アーダールペイ」も導入しています。

このようにインドではデジタル化が急速に進んでいます。

参照:『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書|第3章 モディ政権の経済政策:その展開と評価

3. 物・サービス税の導入

モディ首相は物やサービス税で、間接税の一本化を図ってます。かつてのインドは17種類の間接税があり、州によって税率が異なっていました。

さらに州の境では入境税が徴収され、州内でも入市税が課せられています。その結果、コストが大きくなり、インドの製造業では、国際競争力が低下する結果でした。

そこでモディ首相は1つの商品につき、国内共通の税率にしました。その結果、商品が州を跨いだとしても、効率的なサプライチェーンが完成し、全国共通市場の実現につながります。

参照:『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書|第3章 モディ政権の経済政策:その展開と評価

インドの経済政策は進出にどんな影響があるのか?

インドの経済政策は進出にどんな影響があるのでしょうか。結論からお伝えすると以下のとおりです。

  • 日本企業が参入しやすい
  • 決済方法が使いやすい
  • 場所が選びやすい

インドは外資規制が緩和されたことで、日本企業も参入しやすくなりました。とくに日本の家電メーカーや自動車メーカーは高品質な商品が多く、世界でもトップクラスです。これから発展する製造業は大きな利益が見込まれるでしょう。

また決済方法も使いやすいです。現在の日本はカード決済や電子決済などが多くなっています。インドでも日本と同じ決済方法なので、決済するときに困る必要がありません。

税金でも大きな恩恵を受けるでしょう。モディ首相は税金を一本化したことで、全国共通の間接税を作りました。これは日本企業がどこの州に進出しても、税率が一律なのです。利益が期待できる州に進出できるので、選択肢の幅が広がります。

まとめ:インドの歴史や現状の経済政策から進出を検討しよう

インドの歴史は文明が生まれたり、植民地になったりと様々な経験をしています。その経験から現代のインドは、経済政策を図っているでしょう。

モディ首相は日本企業がインドに進出し、インド企業が日本に進出したいと述べています。今回の記事を参考して、進出を検討してみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。