日本ではあまり馴染みのないクリケットですが、インドでは国民的スポーツとして普及しています。なぜインドでクリケットが普及したのか、そもそもどのようなスポーツなのか知らない人も多いでしょう。
この記事では、インドでクリケットが普及した歴史とルール、選手の年収を解説します。クリケットに興味のある人やインドでスポーツ観戦をしたい人は参考にしてください。
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クリケットがインドに普及した歴史
クリケットがインドで国民的スポーツとなるまでには、長い歴史と文化的背景があります。イギリス植民地時代から独立後まで、クリケットはインドの文化と社会に深く根付いてきました。
イギリス植民地時代にクリケットが伝来
1721年、当時インドを統治していたイギリス人がインドでクリケットをしていた記録があり、1787年にはカルカッタ(現コルカタ)にインド初のクリケットクラブチームが設立されました。
当初、クリケットはイギリス人の専有物としてコミュニティ内で親しまれていましたが、次第にインドの上流階級やエリート層にも広がり始めました。
特に、ボンベイ(現ムンバイ)やカルカッタなどの主要都市では、インド人エリートがイギリス人に倣ってクリケットクラブを設立し、クリケットをプレイしています。
以降、クリケットは次第にインド社会に浸透し受け入れられるようになったのです。
クリケットはイギリスの統治者との関係性や西洋文化への憧れを背景に、インドの都市部を中心に急速に広まりました。
イギリス植民地時代のインドの歴史や文化を知りたい人は、以下の記事を参照してください。
参照:インドがイギリスから独立するまでの歴史|ラーマやガンディーの活動も解説
インド代表が国際試合へ出場
1932年、インドはクリケットの国際試合に初めて出場しました。これは、イギリスの支配下にあった時期の中でも重要な出来事でした。
当時のインド代表チームは国内で選抜された選手たちで構成されていて、この試合はインド人選手が国際舞台に立つ初の機会となります。
インド代表チームはイギリスの支配下に置かれながらも、クリケットを通じて国際社会に存在を示す役割を果たしました。
イギリスと対戦したこの試合は結果としてはイギリスが勝利しましたが、インドのクリケット発展の第一歩となりました。この試合以降、インドのクリケットは国際舞台でその存在感を増していきます。
独立後のインドとクリケットの発展
1947年の独立以降、クリケットはインド国内でさらに発展しました。独立後、インドは自国の文化を再確認し、その一環としてクリケットは国民的スポーツとしての地位を確立しました。
国内ではリーグ戦やクラブチームが増加し、クリケットのインフラ整備も進みます。
また、1960年代以降、インド代表チームは国際大会で次第に好成績を収めるようになり、現在でもクリケットは国民的スポーツとして人気です。
現在、クリケットの競技人口は約3億人といわれていますが、インドには少なくとも1億5,000万人いるといわれていて、世界で一番競技人口の多い国として認知されています。
野球と似ているクリケットの基本ルール
クリケットは、日本ではあまり馴染みがないスポーツかもしれませんが、その基本ルールは野球に似ています。
どちらのスポーツもバットとボールを使用し、得点を競い合う形式を持っているためです。クリケットには独自の特徴があるので、基本ルールを詳しく解説します。
クリケットのチーム構成と試合形式
クリケットの試合は11人のプレイヤーが対戦する形式で行われます。
チームは野球のようにバッティングとボウリング(投球)を交互に行い、両者が同等の回数プレイした後で得点が多いチームが勝利となります。
クリケットにはいくつかの試合形式があり、それぞれルールと時間が異なります。
テストクリケット
テストクリケットは最も伝統的な試合形式で、4~5日間にわたって行われます。
各チームは2イニング(回)ずつバッティングを行い、最も得点を稼いだチームが勝利します。長期間の戦術や耐久力が試される試合です。
ワンデイクリケット
ワンデイクリケットは1日で完結する試合形式で、1イニングでバッティングを交代し、各チームに50オーバー(300球)のバッティング機会が与えられます。
ワンデイクリケットの発祥は、インド南部のケララ州で行われた「オール・インディア・プージャ・クリケット・トーナメント」といわれています。
1962年には1日65オーバー制で試合が行われ、徐々にオーバー数が減少しました。
T20
T20は2003年に登場した試合の短縮形式で、1イニングでバッティングを交代し、各チームに20オーバー(120球)ずつのバッティング機会が与えられます。
T20は他の形式と比べてスピーディーでエキサイティングな試合が多く、観客に大人気の試合形式です。
クリケットで得点が入る仕組み
クリケットの得点はバッターがボウラーから投げられたボールを打ち、その後ランニングすることで得られます。バッターが反対のクリース(打撃者が立つ位置)まで走り切ると1ランが記録されます。
さらに、ボールがバウンダリー(フィールドの境界線)を転がり越えた場合は4ラン、ノーバウンドで境界線を越えた場合は6ランが加算されます。
野球と同様に、バッターは強力な打撃で一気に得点を稼ぐことが可能です。
また、相手チームのフィールディング(守備)も非常に重要で、どのようにランを防ぐかが勝敗を分けます。
クリケットのアウトの方法
クリケットには複数のアウトの方法があります。代表的なアウトの方法は以下のとおりです。
- ボールド
- ラン・アウト
- ヒット・ザ・ウィケット
- スタンプト
- レッグ・ビフォア・ウィケット
- コート
ボールドは、ボウラーが投げたボールがバッターを通過し、ウィケット(3本の棒で構成されるゴール)を直接倒す方法です。
ランアウトは、バッターがクリースに到達する前にフィールダーがボールでウィケットを倒す方法です。
バッターがバットなどでウィケットを倒してしまうと、ヒット・ザ・ウィケットとなってアウトになります。
スタンプトは、バッターがクリースより前に出てしまった間にウィケットキーパーがボールでウィケットを倒す方法です。
レッグ・ビフォア・ウィケットは、投球がバッターのバットではなく脚に当たらなければウィケットは倒れていたと審判が判断した場合のアウトです。
コートは、フィールダーがバッターの打球をノーバウンドで捕球します。ノーバウンドで捕球してアウトになるのは、野球と同じです。
インドのクリケットで有名な選手3選と年収事情
インドのクリケット界には、世界的に知られる有名選手が多数存在し、高額な年収を獲得しています。
クリケットの有名選手たちは、試合での活躍に加えてスポンサー契約や広告出演などからも多額の収入を得られるためです。インドで特に有名なクリケット選手とその年収について解説します。
ヴィラット・コーリ
ヴィラット・コーリは、インドクリケットの象徴的な存在で、世界中に多くのファンを持っています。
ロイヤル・チャレンジャーズ・バンガロール(RCB)のキャプテンとしても有名で、インド代表チームでは長年にわたりキャプテンを務めてきました。
ヴィラット・コーリは2020年に国際クリケット評議会から直近10年間における世界最優秀選手賞を受賞した、名実共に世界のトッププレイヤーです。
年間の世界最優秀選手に授与されるサー・ガーフィールド・ソバーズ・トロフィーを2度受賞し、2018年の世界アスリート収入ランキングでは2,400万ドルを獲得して83位になっています。
クリケット選手に限定すると、2018年に世界一の年収を獲得しました。スポンサーにはGoogle、Uber、プーマなどの大手企業が名を連ねています。
2024年8月時点でのXのフォロワー数は6,000万人以上、Instagramのフォロワー数は3億人に迫るなど、現在でも高い人気を誇っています。
マヘンドラ・シン・ドーニ
マヘンドラ・シン・ドーニは、インドクリケット界のレジェンドで、チェンナイ・スーパーキングス(CSK)のキャプテンとしても知られています。
また、インド代表チームのキャプテンとして2007年のICC T20ワールドカップ、2011年のICCワールドカップ、そして2013年のチャンピオンズトロフィーでチームを優勝に導いた功績があります。
2018年には3番目に格式がある勲章、パドマ・ブーシャン勲章を受章するなど、インド国内での評価も高い選手です。
2019年にはスポンサー料と合わせて3,100万ドルを獲得し、その年の世界のスポーツ選手の年収で82位にランクインしました。40歳を超えてもなお現役でプレーを続け、多くのファンを魅了しています。
ロヒト・シャルマ
ロヒト・シャルマはインド代表チームの現キャプテンで、ムンバイ・インディアンズ(MI)のキャプテンとしても活躍しています。
ロヒト・シャルマは複数のフォーマットで数々の記録を樹立し、2019年時点での通算得点は歴代3位になっています。
2019年には年俸だけで119万ドルを獲得し、インドのクリケット界を牽引する重要な存在です。
2020年にはインドでブランド価値のある著名人トップ20にランクイン、2024年にはBMOクリケットのアンバサダーに就任するなど、国内外に強い影響力を持っているクリケット選手です。
クリケットのインド代表の実績
インドのクリケットチームは数々の国際大会で優勝を果たし、その実績は世界でもトップクラスです。
特に、ICCクリケットワールドカップやT20ワールドカップでの勝利は、インドクリケットの歴史で重要な勝利でした。インドのクリケットチームが達成してきた主な実績を詳しく解説します。
1983年のICCクリケットワールドカップ優勝
1983年、インドはカピル・デーヴをキャプテンとし、イングランドで行われた決勝戦で強豪西インド諸島を破り、初めてのICCクリケットワールドカップ優勝を果たしました。
この勝利は、インド国内でクリケット人気を爆発的に高め、クリケットがインドの国民的スポーツとして確立されるきっかけとなりました。
当時のインドチームは国際試合で全く結果が出せず、低い期待の中で見事なパフォーマンスを発揮し、多くのファンに感動を与えたことから歴史に残っています。
2011年のICCクリケットワールドカップ優勝
2011年、インドはマヘンドラ・シン・ドーニのキャプテンのもと、ムンバイで開催された決勝戦でスリランカを僅差で破り、28年ぶりにワールドカップ優勝を果たしました。
特に、マヘンドラ・シン・ドーニのショットは、クリケット史に残る名場面として語り継がれています。インドはこの大会で、ホームでのプレッシャーを乗り越え、見事に優勝を果たしました。
T20ワールドカップ優勝(2007年)
インドは、2007年に初めて開催されたICC T20ワールドカップで優勝を果たしました。
南アフリカで行われたこの大会では、比較的若いチームをマヘンドラ・シン・ドーニが率いていました。インドは決勝戦でパキスタンを破り、新たなクリケットの歴史を作ります。
この勝利はT20クリケット形式がインドで急速に人気を博す契機となり、その後のインディアン・プレミアリーグ(IPL)の成功にもつながっています。
ICCチャンピオンズトロフィー(2002年)(2013年)
2002年と2013年、インドはICCチャンピオンズトロフィーで優勝し、国際舞台でその実力を示しました。2013年の大会ではイングランドを決勝で破り、全勝でタイトルを獲得しました。
この勝利は、キャプテンを務めたマヘンドラ・シン・ドーニのクリケット人生にも大きく貢献しています。
クリケットはインドで盛んに行われている国民的な人気スポーツ
クリケットはインドで最も愛され、熱狂的に支持されているスポーツです。
イギリス植民地時代にインドに伝わったクリケットは国民的な娯楽として定着し、インド社会に深く根付いてきました。
インドクリケットチームの国際大会での成功や、ヴィラット・コーリやマヘンドラ・シン・ドーニなどのスター選手たちの活躍は、クリケットの魅力を一層高めています。
さらに、インディアン・プレミアリーグ(IPL)などの国内リーグの成功によって、クリケットはインドの経済や文化にも大きな影響を与えています。
これからもインドではクリケットの影響力は増すと予測されていて、文化的にも経済的にも重要な役割を果たし続けるでしょう。
クリケットは単なるスポーツを超え、インドのアイデンティティの一部としてその存在感を強めています。